これまで、「健全なる身体に健全なる精神が宿る」という認識のもと、身体的な健康や精神的な健康についてお話ししてきました。
しかし、健康を語る上で、もう一つ重要な観点があります。
それは、「社会的な」健康です。
WHO(世界保健機関)が定めるWHO憲章では、健康を次のように定義しています。
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.” ※1
(健康とは、身体的、精神的および社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や病弱の存在しないことではない。)
社会的な健康という言葉を聞き慣れない方も多いのではないでしょうか。
社会的な健康とは、簡単に言うと自分以外の人や社会と健全なつながりを持つことを意味します。
哲学者のマルクス・ガブリエルが「つながり過ぎた世界の先に」という著書を出していますが、SNSやインターネットを通じた「つながり」はその便利さの反面、誹謗中傷やいじめの温床になることも少なくなく、改めて「つながり」の在り方を問われる時代になっています。
そこで今回は、社会的な健康を手に入れるためにその「つながり」の在り方を考えるとともに、近年のキーワードになっている「ウェルビーイング(well-being)」についてご紹介していきたいと思います。
なぜ社会的な健康が必要なのか?
身体的な健康と精神的な健康が保たれていれば健康なのではないか、と思う方もいるのではないでしょうか。
そこで心身ともに健康と思われるアスリートを考えてみましょう。
世界的に活躍するようなトップアスリートの多くは、フィジカルコーチによる身体的なトレーニング、メンタルコーチによる精神的なトレーニングを日常的に行っています。
それでも心身に不調にきたすことは少なくないのです。
最近では大阪なおみ選手がうつ状態であることを公表したことは記憶に新しいと思います。
過去にはオリンピック史上最多の28個のメダルを獲得したマイケル・フェルプスさんや同じくオリンピックで9個のメダルを獲得したイアン・ソープさんでさえもうつ病で苦しんだことを公表しています。
これらのことからも身体的なトレーニングや精神的なトレーニングを行っていても、健康を損ねることがあるとわかるでしょう。
大阪なおみ選手はうつ状態を告白する直前、全仏オープンの記者会見には応じないことを表明し、物議を醸していました。
その記者会見拒否の背景にあったのは、試合後の敗者に対する記者からの心ない質問が選手の精神的な負担になる、そのことに対する抗議ということでした。
つまり、選手と記者の関係性に問題がある、対人関係という社会的な側面に問題があると考えていたのですね。
自分自身をどのように評価するのか、つまりセルフイメージは、自分と社会との関係によって大きく左右されます。
「あなたのおかげで上手くいったの!ありがとう!」「頼りにしてます!」と言われたら、自分は社会の役に立っているんだとセルフイメージも良くなりますよね。
マズローの欲求5段階説では、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求とより高次になるにつれて、社会における自分の存在意義を求める欲になっていくということがわかりますし、さらに5段階の先にあると言われている「自己超越欲求」では、自分を超えて世のため人のためになりたいという欲求になっていきます。
健康を考えるときに、身体的な健康と精神的な健康は切っても切れない関係にあるということはこれまでの記事の中でもご紹介してきましたが、社会的な健康もまた、身体的な健康や精神的な健康と相互に関係しているということなのです。
「人は一人では生きられない」とよく言いますが、社会的な健康という観点からもその言葉の意味を実感できるのではないでしょうか。
社会的な健康に影響を与える要因
社会的な健康がなぜ必要かはわかっていただけたと思います。
それでは社会的な健康を手に入れるには、どのようなことに着目すれば良いのでしょうか。
以下の表は、カナダ政府とWHOで公表している健康に影響を与える社会的・経済的要因をまとめたものです。
カナダ政府 ※2 | 世界保健機関 ※3 | |
1 | Income and social status (収入や社会的地位) | The social gradient (社会的格差) |
2 | Employment and working conditions (雇用や労働環境) | Stress (ストレス) |
3 | Education and literacy (教育やリテラシー) | Early life (幼少期) |
4 | Childhood experiences (子供のころの経験) | Social exclusion (社会的排除) |
5 | Physical environments (物理的環境) | Work (職業) |
6 | Social supports and coping skills (社会的なサポートや対処能力) | Unemployment (失業) |
7 | Healthy behaviors (健康的なふるまい) | Social support (社会的支援) |
8 | Access to health services (医療サービスへのアクセス) | Addiction (中毒) |
9 | Biology and genetic endowment (生物学や遺伝的才能) | Food (食べ物) |
10 | Gender (ジェンダー) | Transport (交通) |
11 | Culture (文化) | |
12 | Race / Racism (人種/人種主義) |
これらを見てみると、健康に影響する社会的・経済的な側面は多岐にわたるということがわかります。
例えば、社会的に地位があって収入がある家庭では、衛生的な衣類や栄養価が高く添加物の少ない食品、安全な住環境を容易に手に入れることができますし、万一病気になったとしても高度な医療を受けることができます。
また、社会的なサポートや社会保障が行き届いた国・地域では、一人ひとりを孤立させない行政サービスが提供されている一方で、そうでない国・地域では、スラム街やドラッグに溺れるようなカゲが生まれてしまっています。
子どものころの経験によるトラウマが原因で、大人になっても体調不良を引き起こすこともあるでしょう。
社会に生きている限り、あなたの健康はここで挙げた社会的・経済的要因による影響から逃れることはできません。
大切なことは、身体的な健康や精神的な健康を害してしまう際の原因は、このような社会的・経済的要因による可能性があるということです。
つまり、身体的なトレーニングや精神的なトレーニングに取り組むよりも、社会的・経済的要因に対処することで、健康が得られることもあるのです。
もちろん自分では変えることのできないような要因もあるでしょう。
それを変えようとしても変えることができないばかりか、より健康を害する結果になりかねません。
そうではなく、自分ができることにフォーカスすること、自分で変えることができることから取り組んでみましょう。
健康のカギとなる「well-being」とは何か?
冒頭でご紹介したWHOの健康の定義に「well-being」という言葉がありました。
直訳すれば「幸福」となりますが、近年ではそのまま「ウェルビーイング」と聞く機会も増えたのではないでしょうか。
このウェルビーイングについて、ポジティブ心理学の権威であるマーティン・セリグマンは、次の5つの要素から構成されているとしています。
・P(Positive emotion):ポジティブな感情(嬉しい、楽しい、おもしろい等)
・E(Engagement):積極的な関わり(没頭、夢中、熱中等)
・R(Relationship):他の人との良好な関係性(協力、意思疎通、援助等)
・M(Meaning):人生の意義(社会貢献、利他行為、価値観等)
・A(Accomplishment):達成感(目標達成、自己効力感、成果等)
この5つの頭文字をとってPERMA理論とも呼ばれています。
また、各種世論調査やコンサルティングを手掛けるギャラップ社による調査では、ウェルビーイングに関して、5つの分類を導き出しています。
・Career well-being:仕事のウェルビーイング
自分の仕事に誇りを持っている人と朝起きて仕事に行くの嫌だなと思っている人では、人生の幸福度が大きく違っているということは想像にたやすいでしょう。
「もし今日が人生最後の日だったら、今日私がやろうとしていることは本当にやりたいことだろうか。その答えが“No”であると何日も続くときはいつでも、何かを変えなければいけない」というスティーブ・ジョブズの名言はあまりにも有名ですが、このような言葉は正に仕事のウェルビーイングに至る魔法の問いかけと言えるでしょう。
ちなみに、「Career」には仕事だけではなく、一日の大半を費やし日々行っていることも含まれるため、日々の生活全体を見直すようにすると良いでしょう。
・Social well-being:社会的なウェルビーイング
何でも相談できる家族や恋人、友人や職場の人など、良好な人間関係を築いている人は人生の幸福度が高くなります。
コロナ禍でインターネットを通じたコミュニケーションが増えており、SNSをはじめとしたバーチャルな人間関係を楽しむ人もいますが、その関係性がストレスになるのであれば、距離をとることも大切です。
日本の格言に「苦しいときの友は真の友」というものがありますが、あなたが絶好調のときに周りにいる人よりも、絶不調で苦しんでいるときに周りにいる人が、あなたが本当に大切にすべき人なのです。
・Financial well-being:経済的なウェルビーイング
経済的に安定していると、心に余裕が生まれ、人生をより楽しむためにお金や時間を使うことができます。
メジャーリーグで大活躍している大谷翔平選手も尊敬する哲人中村天風氏が、お金をたくさん持っても幸せにはなれない、みじめな思いをしなくてすむかもしれないが、と言うように、大切なことはお金をたくさん持つことではありません。
収入と支出のバランスを明確にして、漠然とした不安を取り除くようにしましょう。
・Physical well-being:身体的なウェルビーイング
こちらはこれまでの記事でもご紹介してきた身体的な面に関するウェルビーイングです。
運動、栄養、休養のバランスが大切なのでしたね。
ぜひ、記事を見返して、エネルギーに満ちた身体状態を手に入れましょう。
・Community well-being:コミュニティウェルビーイング
コミュニティ、つまり地域社会での幸福という意味です。
ご近所付き合いであったり、地域行事への参加であったりといったリアルなコミュニティがあるほか、近年ではオンラインサロンというインターネット上でのコミュニティも注目を集めています。
つながりの中で、自身がどのような役割を担っているのかを大切にしましょう。
日々の生活をウェルビーイングにしよう
今回は、社会的な健康という観点から「つながり」の在り方を考え、ウェルビーイングをご紹介しました。
健康と向き合うとき、身体的な健康と精神的な健康を考えるだけではなく、社会的な健康も考えていく必要があるということはおわかりいただけたのではないでしょうか。
その意味で、日常生活のあらゆることが健康に影響する可能性がある、という姿勢がとても大切になってきます。
単に病気ではない、病弱ではないから健康なのではなく、身体的な健康をより良くするにはどうしたらいいだろうか、精神的な健康をより良くするにはどうしたらいいだろうか、社会的な健康をより良くするにはどうしたらいいだろうか、と日々考える習慣を身につけましょう。
そうすれば、あなたはよりウェルビーイングな状態で人生を楽しむことができるようになるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
<参考>
※1 WHO、「What is the WHO definition of health?」、https://www.who.int/about/who-we-are/frequently-asked-questions 、2021年6月15日閲覧
※2 カナダ政府、「Social determinants of health and health inequalities」、https://www.canada.ca/en/public-health/services/health-promotion/population-health/what-determines-health.html 、2021年6月15日閲覧
※3 WHO EUROPE、「THE SOLID FACTS」、https://www.euro.who.int/__data/assets/pdf_file/0005/98438/e81384.pdf 、2021年6月15日閲覧