いよいよ開幕したパリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会。連日の日本代表の活躍を、夜遅くまで観戦している方も多いのではないでしょうか。「より速く、より高く、より強く」を目指して鍛錬してきたアスリートのパフォーマンスは、私たちに感動を与えてくれます。
しかし、このような華やかな競技会の裏で、ほぼ毎回のようにフェアプレーの精神に反する問題が発生しています。それが、ドーピング問題です。
今年1月、2022年北京オリンピックの女子フィギュアスケートで団体金メダルに貢献したワリエワ選手について、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が2021年12月25日以降のすべての競技成績の剥奪、そして4年間の資格停止処分という最終的な裁定を下しました。北京オリンピック当時15歳にも満たないワリエワ選手のドーピング問題に、世間からも様々な憶測が飛び交い、大きな話題となりました。ロシアは組織的にドーピングに関与していたこともあり、国を代表して国際大会に出場することができず、個人資格(ロシアオリンピック委員会)で参加していた中で起こった出来事でした。
ドーピング問題は、単に競技力の向上という個人的な問題ではなく、スポーツの健全な発展を妨げ、社会全体のモラルを低下させる深刻な問題です。私たち一人ひとりが、ドーピング問題の深刻さを認識し、クリーンなスポーツの実現のために取り組んでいくことが必要なのです。
そこで今回は、「ドーピング」についてご紹介したいと思います。
ドーピングとは何か?
ドーピングの歴史
ドーピングとは、競技力を不正に高めるために、禁止されている薬物や方法を使用することを指します。ドーピングがなぜ禁止されているかと言えば、フェアプレーの精神に反するだけではなく、健康を害するリスクをはらむ反社会的な行為であるからです。スポーツの価値そのものを脅かす重大な問題なのです。
ドーピングの語源は、一説にはアフリカ南部の原住民が飲むお酒「dop」にあると言われています。ドーピングの歴史は古く、古代ギリシャでは、競技力を高めるために興奮剤等を使用していたとされています。
1865年のアムステルダム運河での水泳競技大会でドーピングが使用されたというものが最も古い記録とされ、1886年の自転車レースでドーピング使用による最初の死亡例が報告されました。その後もドーピング使用による死亡例などが相次いたことから、ドーピング検査が行われるようになり、アンチ・ドーピングに関する取り組みが推進されてきました。
そして現在では、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)というアンチ・ドーピングを統括する国際組織が定める「世界アンチ・ドーピング規程(WADA Code)」で、アンチ・ドーピングの国際統一ルールが制定されています。
1.ドーピング検査で使用する、検体に禁止物質が存在すること
2.禁止物質もしくは禁止方法を使用すること、またはその使用を企てること
3.検体採取を拒否、回避すること
4.競技会外検査に関する義務に違反すること
5.ドーピング検査の一部を不当に改変すること
6.禁止物質または禁止方法を保有すること
7.禁止物質もしくは禁止方法の不正取引を実行すること
8.アスリートに対して禁止物質または禁止方法を投与・使用すること
(※1より)
身近なところに潜むドーピング
ドーピングで気をつけなければならないのは、意図的であろうとなかろうと、禁止物質が検出されるとドーピングとみなされてしまうことです。治療のために服用している風邪薬や漢方薬、喘息薬などに禁止物質が含まれていることもあります。
また近年、サプリメントを服用する人が増えていますが、実はこのサプリメントにもドーピングのリスクが潜んでいます。サプリメントの含有成分に禁止物質がある場合もさることながら、本来含まれていないはずの禁止物質が何らかの形で混入してしまう「コンタミ(contamination(混入))」が起こることがあるのです。
コンタミは、原材料の保管がしっかりとなされておらず他の原材料から混入してしまう、製造ラインにおける機器の洗浄が不十分で混入してしまうといったように、本当に些細なことから生じます。サプリメントは有効活用すれば健康にもスポーツのパフォーマンスにも良い効果をもたらしますが、このようなリスクがあることは忘れてはなりません。安価で含有量の多いものを選ぶのではなく、信頼のできる製造メーカー、商品を見極めることが大切です。
その他にも、ライバル選手の飲み物に禁止物質を投入し、ドーピング違反で失格にさせようとしたという出来事が日本でも起こりました。行き過ぎた勝利至上主義は、相手を蹴落としてでも勝とうという行動を誘発してしまうのです。このような事例から身を守るため、アスリートは封が空いた飲み物や人からもらったものを口にしないなどの対策を講じています。
ドーピングは、思っている以上に私たちの身近なところに潜んでいるのです。
ドーピングがもたらす健康への影響
過去にはドーピングが原因となった死亡例があるといったことから、健康被害をきたすリスクがあるということがおわかりいただけるのではないでしょうか。ドーピングは、競技力向上という目的の裏で、命を削ってしまっている可能性があるのです。
トップアスリートは、最高のパフォーマンスを発揮するために日夜トレーニングに励んでいます。しかし、勝つためには手段を選ばない「勝利至上主義」に陥ってしまうと、ドーピングに手を染め、命を削ってでも競技力向上を図ろうとしてしまうことがあります。もしドーピングを禁止していなかったら、より命を削ったアスリートが優位な結果を残すという極めて不健全な競い合いが行われるようになってしまいます。アスリート同士の健全で、公正公平な勝負を担保するために、アンチ・ドーピングへの取り組みが欠かせないのです。
病院で医師から処方された薬であっても、用法用量を守らないと健康被害を引き起こしますし、用法用量を守っていても副作用が出ることもありますよね。これは競技力向上のために、本来の目的とは異なった使用をするドーピングも例外ではありません。
例えば、興奮剤には血圧上昇、不正脈、最悪の場合には心停止のリスクがあり、ステロイドには肝機能障害、男性の女性化、女性の男性化のリスクがあります。また、ドーピング違反で多いとされる筋肉増強剤や造血剤では、それぞれ女性の男性化や腎不全のリスク、血栓や血行障害を起こすリスクがあります。さらには、使用を継続することによって薬物依存となるリスクもあります。
薬物依存は、アスリートの心身に過大な負担をかけ、競技生活だけでなく日常生活にも支障をきたすことが少なくありません。以上は一例ですが、ドーピングは様々な形で健康被害をもたらす行為でもあるのです。
アンチ・ドーピング活動の現在地
ドーピングや薬物に依存して得た競技力で競い合うことはアンフェアであり、仮に勝ったとしても真の勝利とは言えません。スポーツの価値を守るためには、アンチ・ドーピングに対する取り組みが不可欠なのです。
アンチ・ドーピングを推進するため、世界各国で様々な対策が講じられています。世界のアンチ・ドーピング活動を統括する国際機関WADAは、アンチ・ドーピングの世界規程を策定して各国にその遵守を求めたり、教育プログラムを提供したりするなど、幅広い活動を行っています。また、ドーピングを取り締まるための法律を制定する国も増加しており、国を挙げてアンチ・ドーピングに取り組むようになってきています。
日本でも、2011年に制定されたスポーツ基本法において、ドーピング防止活動の推進が明記され、これを受けて2018年にはスポーツにおけるドーピング防止活動の推進に関する法律が制定され、アンチ・ドーピング活動に力を入れています。また、アンチ・ドーピング活動で重要な役割を担っているドーピング検査について、国際的なドーピング検査の体制を強化するため、オリンピックなどの大規模イベントや国際競技連盟に対し、ドーピング検査の企画・立案・実施等のサービスを提供するITA(国際検査機関)が2018年に設立されました。
ドーピングは常に進化しており、検査で陽性にならないよう回避する手段も巧妙化していますが、ドーピング検査技術の進歩により、現在ではより高度な検査が可能となっています。その一方で、検査費用が高額であることからその費用の負担先の問題、アンチ・ドーピングに関するアスリートの負担の大きさの問題など、課題も多くあります。
アンチ・ドーピング推進のためには、アスリートだけでなくスポーツ関係者、医師、薬剤師などのほか、一般の人々に対する教育と啓蒙活動が不可欠です。ドーピングの危険性や、クリーンなスポーツの重要性を広く周知することで、ドーピングを未然に防ぐことができます。ドーピング問題の解決には、ドーピング検査の強化、WADAやITAなど国際機関を中心とした活動、各国間の連携、教育と啓蒙活動、そしてクリーンなスポーツ文化の醸成など、多角的な取り組みが求められます。
これらの取り組みを通じて、ドーピングのないフェアなスポーツを実現し、アスリートが安心して競技に打ち込める環境にしていくことが大切なのです。
まずはドーピングを理解することから始めよう
ドーピング問題は、スポーツ界の問題にとどまらず、世界各国で法制化されているように、社会全体が直視すべき深刻な問題になってきています。オリンピックでメダルを獲って人生が変わった、と話すオリンピアンが多いように、大規模な国際大会で活躍することは、良くも悪くもアスリートのその後の人生を大きく変えるのです。そのような勝利へのあくなき挑戦が、誤った方向に向かってしまい、ドーピングに手を染めてしまう現実があります。
ドーピングがもたらす健康被害は、決して軽視できるものではありません。特に、若年層のアスリートにとっては、成長期の身体に与える影響は計り知れません。ドーピングは、アスリートの健康を害し、人生そのものを大きく変えてしまうリスクがあるのです。だからこそ、スポーツをする人、スポーツをみる人、スポーツをささえる人がドーピングへの理解を深め、アンチ・ドーピングを推進していくことが大事になるのです。ドーピングの問題は一朝一夕解決できる問題ではありませんが、千里の道も一歩から、まずはドーピングへの理解を深めていきましょう。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
<参考文献>
※1 公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構、「スポーツに関わるすべての方々に アンチ・ドーピングガイドブック PLAY TRUE」、2012年、公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構
・公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構、「スポーツ共通の全世界的なルール―スポーツの固有の価値を守るアンチ・ドーピング活動―」、https://www.playtruejapan.org/school/jada_textbook_02.pdf 、2024年7月26日閲覧
・浅川伸、「ドーピングとアンチ・ドーピング 歴史と制度の変遷」ファルマシア55 巻 (2019) 8号、https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/55/8/55_737/_pdf/-char/ja 、2024年7月26日閲覧