先日ショッキングなニュースが流れました。
ユニセフ(国連児童基金)が先進国・新興国38か国を対象に調査した結果を、「子どもたちの幸福度ランキング」として発表しました。
日本は何位だったと思いますか?
なんと「身体的健康」が1位だったのに対し、「精神的幸福度」は37位(ワースト2位)だったのです。
「身体的健康」:子どもの死亡率や肥満の割合から算出したもの
「精神的幸福度」:子どもの生活満足度の高さの割合や自殺率から算出したもの
つまり、体は健康(肥満児が少なく身体的な理由での死亡率が低い)であっても、心は著しく不健康(生活満足度が低く自殺率が高い)ということです。
かつて鬼塚喜八郎氏は、「青少年の健全な育成」を目的に鬼塚株式会社(現 株式会社アシックス)を設立しました。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」のだと。
しかし、今の日本の子どもたちは、健全なる身体を持っていても、不健全なる精神しか持ち合わせていないのです。
以前、地域スポーツクラブを経営している方から聞いた話ですが、体育館を使って自由に遊んでいいよと言っても子どもたちは自発的に遊ばない、いや、より正確に言えば遊び方がわからない状態なんだそうです。
スマートホンや携帯ゲーム機器での遊びに慣れてしまって、身体を動かす遊び方、人との遊び方がわからないという事態が起こり始めているのです。
これは由々しき事態です。
マーズローの欲求5段階説で「社会的欲求」、つまり他の人とつながっていたい、どこかに所属していたいという欲求がありますが、その欲求の満たし方が物理空間から情報空間へと変遷しているのです。
物理空間での健康を身体的健康、情報空間での健康を精神的健康と捉えるならば、この二つの作用のバランスが崩れてきているのかもしれません。
QOL向上のためには、身体的な健康だけではなく、精神的な健康も欠かせません。
そこで今回は、身体と精神の健康を考えることをテーマにお話ししたいと思います。
「体育の日」が「スポーツの日」になった背景にあるもの
近年、「体育」という言葉が「スポーツ」に変更される流れがあることをご存知でしょうか?
例えば、「日本体育協会」は「日本スポーツ協会」に、「国民体育大会(通称「国体」)」は「国民スポーツ大会」(2023年~)に、そして「体育の日」は「スポーツの日」に変更されています。
体育の日は、もともと1964年東京オリンピックの開催を記念して、創設された国民の祝日です。
その祝日が2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催を前に名称が変更されたのです。
なぜこのような変更が行われたのでしょうか?
それは、スポーツが体育のみならず、知育、徳育を含むより広い概念であり、心技体、つまり心を鍛え、技を磨き、身体を育むものだからです。
体育(学校)は、戦時中「体練」という名称で、その名の通り戦争のための体の鍛錬として指導が行われていました。
しかし時代は移り変わりました。
単に身体を鍛えることが目的なのではなく、知能を育み、徳・モラルを育むことも目的であり、心技体の向上を目指す、それが「スポーツ」なのだと。
つまり、身体的な健康だけではなく、精神的な健康をも含む真の健康を追求するために「体育」から「スポーツ」へと置き換えられているということです。
近い将来、学校の教科も「体育」から「スポーツ」に変更されるのかもしれませんね。
もしかしたら、言葉だけ変えても意味がない、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、言葉はものすごく大切なのです。
とりわけ、精神的な健康においては。
このあたりは後ほどお話ししたいと思います。
心の中で摩擦が生じると何が起こるのか?
心の中で摩擦が生じると病気にかかりやすくなります。
その原因の最たるものがストレスです。
本当はやりたくないことをやらなければならなかったり、思ってもいないことを口走ったりしたときストレスを感じませんか?
「やりたいことをやりたい自分」と「やりたくないけどやらなければならない自分」の間で摩擦が生じる、これがストレスとなって表れるのです。
そして、その摩擦を乗り越えてやらなければならないとき、モチベーションの問題として取り上げられます。
そう、モチベーションが問題になるのは、やりたくないことをやっているからなのです。
考えてみてください…自分が本当にやりたいこと、例えばゲームをしているとき、Netflixを観ているとき、モチベーション高いねって言われますか?
言われないですよね。
やりたいことをやっている限り、モチベーションは問題にならないんです。
数年前「WILL POWER-意志力の科学」という本が日本でも流行りましたが、意志力には限界があります。
そして内面にいる2人の自分が喧嘩をするとき、この意志力をすり減らしているのです。
この意志力が尽きてしまうと、冷静な判断ができなくなってしまいます。
近年、著名な方の自殺が報じられると、SNSを中心に「死ぬぐらいなら○○すれば良かったのに…」という言葉をよく見かけます。
しかし、幾度となく心の中の摩擦を繰り返してきた人は、ほとんど意志力が残っておらず、気力を失っていき、他の選択肢を考えるような冷静な判断はできないのです。
だからこそ、「今日が人生最後の日だったら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」というスティーブ・ジョブズの名言にあるように、自分への問いかけ、自分の本当にやりたいことに向き合うことはとても重要です。
自分自身の心の声を絶対に無視してはいけません。
モチベーションを上げなければならないようなことばかりやっていたら、意志力が尽きて疲弊してしまうのです。
心の声、感情が湧き上がってきたら、それとしっかり向かい合っていきましょう。
人間には3つの脳がある!?
ポール・マクリーン博士が提唱した「三位一体脳」という理論があります。
この理論によれば、人間には3つの脳があるといいます。
その3つとは、「爬虫類脳」、「哺乳類脳」、「人間脳」です。
「爬虫類脳」…闘争・逃走反応や食欲、呼吸といった本能的な行動、生存に関わる脳
「哺乳類脳」…社会的な関係や子育て、他者への愛情といった感情に関わる脳
「人間脳」…理性的、抽象的、論理的な思考に関わる脳
この3つの脳の間でも、喧嘩することがあります。
例えば、ダイエットを考えてみましょう。
甘いものを食べたいな(楽に近づく)、苦しい運動をしたくないな(苦から遠ざかる)という爬虫類脳に対して、いやいや甘いものを食べたら太ってしまう、運動して痩せて美しくなりたいという人間脳が喧嘩を始めます。
ダイエットを成功させて美しくなりたいという自分(人間脳)に対して、その成功を拒むもう一人の自分(爬虫類脳)がいるのです。
この成功を拒むもう一人の自分を絶対に無視してはいけません。
無視し続けると、もう一人の自分の声は次第に大きくなって、やがてリバウンドという最悪の結果をもたらしてしまいます。
人間には恒常性維持機能(ホメオスタシス)が存在します。
自分にとって慣れた心地よい環境(コンフォートゾーン)に留まり続けようとするのです。
だから急激にダイエットしようとすると、急激に元に戻ろうとする無意識の力が働くのです。
宝くじに当たって急に大金を手に入れた人が、散財してしまうのも同じ理由です。
お金のない状態の方が心地よいと無意識に感じているのです。
ここで誤解しないでいただきたいのが、3つの脳すべてがあなたのためを思っているということです。
美しくなりたいという人間脳に対して、甘いものを食べたい、苦しい運動を避けたいという爬虫類脳が働くのは、あなたが生きていくためです。
万一食べ物がなくなっても困らないように栄養(カロリー)を蓄えておこう、運動を避けて無駄なエネルギーを使わないように節約しよう、という生存するための声なのです。
だから、どれが優れているというものではないのです。
内なる声を受け入れて、しっかり話し合いをしましょう。
そうすれば、きっと無理のない折衷案が導き出されるはずです。
「わたし」ってなんだろう?
「「わたし」はこの世に存在しない」と言われたら、あなたはどう思いますか?
いやいや、今ここにいるじゃないか、と思うでしょうか?
でも、今ここにいるあなたの体は、「わたし」そのものでしょうか?
違いますよね。
「わたし」というのは、物理的な空間にある体だけではなく、○○な性格で、趣味は○○で、仕事は○○をしていて、○○な異性が好きで、…といったように、情報空間のものも含めて「わたし」を形づくっているのです。
その意味で「わたし」がこの世に存在しているのではなく、正確にはあなたの脳に「わたし像」が反映されているということなのです。
仏教には、「世の中すべて縁起である」という考え方をする宗派があります。
簡潔に説明すると、世の中すべてのものが相互に関連することで成り立っているということです。
例えば、親は子がいるから親なのであり、子は親がいるから子なのだということです。
子がいない人を親とは呼びませんし、親がいない人を子とは呼ばないですよね。
なぜ、このような哲学的な話や仏教の話をしたのか?
それは、結局のところ「わたし」とは、「あなたがあなた自身をどのように定義づけているか」にかかっているということを知ってもらいたかったからです。
他の人があなたをどう思っているかは関係ないのです。
自分自身を愛する
「わたし」が自分自身をどのように定義づけるかで決まるのであれば、より良い定義づけをした方が幸福感を得られるということは想像にたやすいでしょう。
このようにより良い定義づけをするためにコーチングで利用されているのが「アファメーション」と呼ばれるものです。
アファメーションとは、肯定的な自己暗示のことで、なりたい自分になぞらえた肯定的な言葉を繰り返し刷り込むことで、なりたい自分と定義づけを一致させていく手法です。
先に「体育」と「スポーツ」のところで言葉が大事だと言ったのは、あなたがその言葉に抱くイメージやニュアンスで、心に対する作用が変わってくるからなのです。
自分の内なる声に耳を傾け、自分自身を肯定的に捉える。
これが自分自身を愛すると言うことなのです。
自分自身を愛することができれば、きっと精神的な幸福度は自然と高まってくるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。